「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」から「だけ」

これまでに

「女性だけの」会に入らないか、作らないかと

声をかけられたことが何度かあります。


「女性だけのフリーランスの会」とか

「女性だけの編集ライターチーム」とかですね。


世間には「女性だけの○○」がたくさんあって

女性目線の発想や対応で、活躍している人たちは少なくありません。

それは素敵なことだし、すごいなあと思います。


ただ、私は昔から、これがすごく苦手です。

理屈ではなく、感覚的に。


苦手なのは、「女性」というところではなく

「だけ」というところ。

とてもバランスが悪く、狭いところに行く感じがして

恐怖感にも似た抵抗感があります。


でも、最近、それがよくわからなくなることが。


たとえば、アルコール依存症の人が

「アルコール依存症の会」で同じ状況の人たちと話すことで

精神的に安らげたり、立ち直れたりすると聞きます。


海外に住む日本人が、日本人コミュニティをつくることで

安心できたり、助け合えたりできることも

大いにあると思います。


同じ境遇、同じ悩み、同じ問題を抱える人だけの会やグループには

そこにしかない安心感やメリット、役割が

確かにあるんですよね。


その一方で、やっぱりそこは閉じられた

「だけ」の世界でもあります。


そっか、私が怖いのはたぶん

「だけ」の世界ではなくて

「だけ」の世界だけ、となってしまう状況や人。


同じ境遇じゃないと

分かり合えない、気が合わない、いらない

という風になってしまうのが

危ういというか、残念というか、苦手というか

やっぱりすごく偏っていて、息苦しい感じがします。


なんてことを

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」という本を

読んで思ったりしています。

まだ物語途中ですが

センシティブなことを客観的に、平易に語っていて

人気があるのもなるほど、と思います。


「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」